本校は長年女子教育において大きな成果を上げてきましたが、急激な社会の変化のなか、また、時代の要請に応えるために、平成20年度から男女共学校として、校名も「山村学園高等学校」と改称し、『志を高く掲げ、確かな学力と豊かな心を養い、国際社会で活躍できる人材の育成』を掲げて、さらなるグレードアップを図ったところです。
剣道部はインターハイ・関東大会を目指し、日々厳しく充実した練習を行っています。
稽古内容は、切り返し、打ち込み、かかり稽古を中心としています。
剣道の理念にのっとり、日々の厳しい練習を通して、社会で活躍できる人間形成を目指しています。
豆腐パッケージに入った、ご当地手ぬぐいが誕生!
「木綿湯布(もめんどうふ)が"いい風呂の日"に新発売
1716年創業の奈良の老舗、株式会社 中川政七商店(所在地:奈良県奈良市)は、豆腐のパッケージに入ったご当地手ぬぐい「木綿湯布(もめんどうふ)」を。"いい風呂の日"である2018年11月26日(月)より日本各地の温泉地にて限定販売致します。
お馴染みの豆腐の容器に入っているのは木綿豆腐ではなく、"木綿"生地でできた手ぬぐい。日本各地で受け継がれてきた木綿や染の技法を使い、ご当地の魅力あふれる手ぬぐいとして商品化しました。その土地の温泉地でしか買えない、新しい土産ものです。
首都圏からの日帰り温泉が楽しめる埼玉県で作られるのは、川越市で創業70年の染物屋「井上染工場」による「手捺染」と呼ばれる技法で仕上げた手ぬぐい。」職人の手で一枚一枚丁寧に染め上げた、美しい発色が特徴です。生産量日本一の鯉のぼりや、雛人形など埼玉らしい柄が描かれています。
・全3柄
・販売場所:玉川温泉、おふろcafe白寿の湯、おふろcafe utatane
⁂ 手拭といえば熨斗袋に入れるものと思っていましたが、木綿豆腐の容器に入れるなんて、すごい発想です。川越手捺染のシールも川越らしさがあふれます。手拭デザイン、パッケージングのアイデア、奥深さと発展性に気づいたことは、株式会社中川政七商店の発注先に選んでいただきとても光栄に思った今回の仕事でした。
命知らずな青年たちの妙技を、観衆は固唾をのんで見守りました。光栄にも入間市鳶組合の半纏を染めることが出来ましたので、当日の模様をお知らせします。写真を見ると、どんな技名か大体わかるのではないでしょうか。
また、火災現場にいち早く到着し、火災を止められそうなギリギリの家屋に梯子を使って登り、纒(まとい)を回すのですが、「この先には火災を広げない」という意味がありました。
そのため、梯子乗りと纏持ちは危険な火災現場で高所に登り、命を懸けて町を守る町火消として、江戸時代の花形職業だったそうです。
梯子乗りはバランスがとても大事なので、日頃から梯子に乗る練習をし、曲芸のようなことをすることで度胸をつけ、火災に備えていたといわれています。
そしていつしか、出初式で梯子に乗って技を披露するようになり、現在もその伝統を引き継いでいるのです。
梯子乗りの技は以下の通り、大きく4種類に分けることができ、合わせて50以上のバリエーションがあります。また、複数の技を組み合わせて連続技を披露することもあります。
●頂上技 梯子の頂上で行う技。一本遠見、一本邯鄲など16近くあります。
今や川越の玄関となっている東武東上線川越駅は、1914年の開通時には無く、翌年の1915年4月1日に川越西町駅として開業しています。私の親の代では西町駅といえば川越駅のことでした
旧市街にある昔の玄関口である川越市駅は、東上鉄道開通時に川越町駅として開業し、1922年12月1日の市制施行とともに現駅名に改名したようです。この駅周辺を代表する(六軒町)に昔から住んでいる人たちには通称「六軒町」駅と呼ばれていたようです。
六軒町という名の町は日本全国に多数あるようですが、川越市六軒町は町名の由来が調べても判りませんでした。ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。
さて、川越祭りの主役といば山車、旧市街では文化財級の山車をそれぞれの町会が所有しています。
公式サイトによりますと、六軒町の山車は二重鉾、三つ車、廻り舞台、唐破風付きの囃子台。旧十ヶ町以外で最初に作られた山車。明治21年(1888) 大工棟梁の印藤吉五郎作。彫刻は明治34年山田弥三郎の作。昭和36年廻り舞台に改造されたが、三つ車のまま廻り舞台にした唯一の山車。
人形は明治21年(1888)仲秀英作。面は能楽の一つ、式三番の黒式尉(こくしきじょう)と呼ばれる三番叟(さんばんそう)。
囃子は芝金杉流今福囃子連中で、埼玉県無形民俗文化財に指定されていて、六軒町の半纏、浴衣、手拭には三番叟にちなんだ松皮菱がデザインされています。では、その由来は?
今年の川越祭りは、久しぶりに好天に恵まれ、写真の写りも上々でした。半纏と浴衣は同じモチーフをを使用して一体感を表しています。
南北朝時代、武蔵河越は天下の茶所として人々が名をあげる有数の茶産地のひとつでした。関東の有力武将も愛したこの地のお茶「河越茶(抹茶)」は戦国時代になると栽培していた寺院・武士が衰退するとともにその名も消えていきました。
それからおよそ四百年.....銘茶と呼ばれたかっての河越茶にならい、旧河越領内茶園で丁寧に栽培された高品質の茶葉を厳選し「河越茶(抹茶)」として新たな姿でよみがえりました。
抹茶スイーツ処 茶和々(さわわ)の抹茶わらび餅は、肥料管理の行き届いた工場直営の茶園で一枚一枚丁寧に摘み取った茶葉のみを使用しています。また、おいしさの安心を追及した河越抹茶を練りこんだわらび餅に、さらに河越抹茶がまぶされている風味豊かなわらび餅です。無添加・無着色の自然の香味そのままでしあげられておりまろやかな甘みとコクが持ち味です。