2017年11月4日に行われた補陀楽山那古寺開創1300年祭の山車屋台奉祝巡行の年番区を務めた、宿組(志久組)の屋台です。
2017年11月4日に行われた補陀楽山那古寺開創1300年祭の山車屋台奉祝巡行の年番区を務めた、宿組(志久組)の屋台です。
囃子は、「やたい」「しっちょめん」にこだわっているのが特徴。
むかしは「那古の七祭(ななまち)」として、那古地区の各々の神社で祭礼が行われていました。
やがて山車が作られようになると、同那古の東藤と柴崎が鶴谷八幡宮に山車をともない参拝するようになります。 その後大芝、浜、寺赤、宿が順次山車を製作し、この行事に参加します。
例年7月17・18日に行なわれる,那古地区の祭礼に出される寺赤組の山車です。通称江戸型とよばれる三層の山車で,人形を上げ下げできるようにして,二層に人形を納める工夫がされています。
地元の大工棟梁によって,明治32(1899)年につくられたものと考えられています。彫刻は初代後藤義光の山車彫刻の遣作と考えられ,「元北朝夷 後藤利兵衛 橘義光作 八十五翁」などの銘があります。建武中興の故事にそった後醍醐天皇と,忠臣たちの名場面をテーマにした35名以上の人物像は,その持ち物や表情が,はっきりと彫刻されています。
彫刻,大幕,そして人形など,『太平記』をテーマに,山車全体の構成が統一されています。また,人形を上げ下げする装置には,滑車が多く使われ,操り綱を使った古来の手法が残されています。
半纏 十番天竺 紺地白抜き
川島中学校は1958年創立されました。
川島中学校剣道部は令和元年度 男子14名、女子9名で部員数計23名。
活動方針
①剣道を通して、より良い人間形成を行う。
②仲間と協力し、励まし合いながら、チームの一員としての自覚を持つ。
③勝利主義には走らず、努力することのすばらしさを知る。
④暑さ寒さに耐え抜く、強い精神力を身につける。
⑤いつも感謝の心を忘れずに、周りから応援される部活を目指す。
過去の成績
学校総合体育および新人体育大会 例年県大会へ個人戦出場、昨年度は女子団体県大会出場。
富士浅間神社は、口碑によれば中村傳右衛門が新田開発を企図した際に、「この大事業は人力だけでは困難であり、神明の加護を得なくては全うできない」と思い、平素信仰してきた浅間神社を、「この大神は大難・難産除けの御神で、新田開拓地における生命財産の守護神にふさわしい」として鎮祭されたものであるといわれています。写真の奥に富士塚が鎮座します。
幟は 前回 昭和56年7月に奉納されたものを 今回令和元年10月18日の例大祭に再献披露されました。
富士浅間御祭禮 幅95cm 長さ1050cm 帆布
近年、温暖化による影響で、台風による強風が益々強くなり、白山神社では一昨年、欅の大木が折れ、鳥居が大破しました。これを修復するにあたり、多額の寄進が集まり、本年早々に改修ができました。
初代鳥居建立は大正15年、94年前、幟は初代文久3年、2代昭和11年11月で83年前でしたが、新元号「令和元年」にともに完成しました。
当日は、宮司お祓い、氏子の玉串奉奠(たまぐしほうてん)、祝宴もあり盛大に祝いました。
幟は幅105cm、長さ10m50cm、 生地は河内木綿(幣)、文字は鎮守御祭禮です。
9月7日、8日に本町八幡神社の例大祭が行われました。
白木建設は町会の設営のお手伝いをして、お神輿を担ぎました。
白木建設は町会の設営のお手伝いをして、お神輿を担ぎました。
奇しくも八幡神社の移転とともに、国分寺市の白木建設株式会社は1951年に創業し、間もなく70周年を迎えます。
従来のいわゆるスクラップ&ビルドといった発想から建物のしっかりと管理・修繕して長く利用する時代へ変わり、それに伴い建設業の在り方も変わってきました。
従来のいわゆるスクラップ&ビルドといった発想から建物のしっかりと管理・修繕して長く利用する時代へ変わり、それに伴い建設業の在り方も変わってきました。
白木建設は、これからも、今まで培った技術を活かしながら時代の変化に対応し、未来に向けて確かな技術で社会に貢献する」この理念の基に、常に地域に必要とされる会社を目指して歩んでいます。
2016年に初めて半纏のご注文をいただきまして、この度社員さんが増えて追加のご依頼を受けました。益々の発展、成長が期待される建設会社です。URL : http://homelifesupporter.jimdo.com/
2016年に初めて半纏のご注文をいただきまして、この度社員さんが増えて追加のご依頼を受けました。益々の発展、成長が期待される建設会社です。URL : http://homelifesupporter.jimdo.com/
半纏 着丈90cm/100cm 身巾65cm/70cm 綿紬
幅3間(540CM)丈150cmの間口いっぱいの大きな暖簾です。
銀虎様のホームページに載せていただいたのでコピーしました。以下本文
昨日、新しい暖簾が届きました!
...今回は、川越市にある染元に作っていただきました。右が井上染工場の社長、井上登さんです。右側は私、髙野登。名前が同じ「登」さん。ご縁を感じずにはいられません。納品していただいた暖簾を見た第一印象は「とにかくきれい」でした。美しい暖簾を作っていただきどうもありがとうございました。
本日より、この新しい暖簾をかけて営業スタートです。心機一転、頑張ってまいります。この暖簾を目印に、お気軽にお立ち寄りください。
~畳のことなら銀虎へ~ 株式会社 銀虎
銀虎は、品質のよい畳表とお好みの畳縁でコストパフォーマンスの高い畳替えをご提案する畳店です。
さいたま市見沼区堀崎町520-4
電話 : 048-812-5773
ホームページ : http://www.gintora.co.jp/℣
盆彩畳」~BONSAI TATAMI~は、従来の「ミニ畳」とは異なり盆栽を飾った際にその美しさをより
引きたて、最高の脇役となれるようなフォルムを徹底的に追及するとともに、使用する材料も厳選し、畳
職人が一枚一枚丁寧に手作りで仕上げた商品です。どんな場所も上質な和の空間を演出できる盆栽用敷板で、日本の心をもっと身近に感じてください。
この度令和御大典を記念して大祭幟を新調(再調)ご注文をいただきました。
何と書いてあるのか、読むのか判らず、諏訪神社を代々守る高柳家の高栁圭宮司に教えていただきました。
鴻恩福正直(こうおん、せいちょくをふくす)、大きな恩恵は、正しいもの(幸せ)をもたらす。
赫威誅横邪(かくい、おうじゃをちゅうす)、正しくはっきりした方は、よこしまな(悪い)ものを成敗する。
最初の幟を書かれた方は江戸生まれの書家 西川春洞 揮毫は丙午=明治39年(1906年)
最初の幟を書かれた方は江戸生まれの書家 西川春洞 揮毫は丙午=明治39年(1906年)
再調 令和元年己亥歳八月吉日
生地は帆布 幅110cm 丈10m50cm
桶川剣友会は埼玉県中央に位置する桶川市に昭和48年に発足しました。
その1年前に桶川内の一地区に桶川剣友会前身の川田谷剣友会が発足したのがきっかけです。
当時の先生が地元の小学校長に講堂の借用願に指導方針として明記したものが、信条として現在も引き継がれており、これを毎年4月の入門式に新規入門者に「誓いの言葉」として渡しています。
内容はシンプルで子供達にも分かり易く、この信条に述べられている事が人間形成への基本だと考えています。
一、 礼儀を正しくします。
一、 明るい元気な人になります。
一 何事もやりぬく根性を持ちます。
桶川剣友会は毎週のように関東各地へ試合や錬成会へ出かけます。その際に剣友会の顔である『大団旗』を会場へ掲げます。
この度、団旗を新調し、剣道の聖地、日本武道館の試合会場でお披露目されました。
この度、団旗を新調し、剣道の聖地、日本武道館の試合会場でお披露目されました。
右が新、左が旧団旗。
初代会長直筆の『錬心体』の文字は、1割ほど大きくし、色は年月とともに少しづつ薄くなるので濃いめに染めました。生地は十番天竺、サイズは260*175cm。
初代会長直筆の『錬心体』の文字は、1割ほど大きくし、色は年月とともに少しづつ薄くなるので濃いめに染めました。生地は十番天竺、サイズは260*175cm。