・シンディースイート
・フルティカ
・ミスター浅野の傑作
本年は「山への感謝」をテーマに、コロナ退散・家内安全・五穀豊穣・無病息災を祈願し、山への感謝をあらわします。 飯縄火まつりは飯縄山から運ばれる御神火を点火して、飯縄山の「山入り」行事を再現する伝統的なおまつりです。
大座法師池では高尾山薬王院様による柴燈護摩と二胡演奏家の高山賢人氏・和太鼓奏者の佐藤健作氏の生演奏や光と水の演出によって幻想的な世界が繰り広げられます。フィナーレには最大5号玉を含め、スターマインやナイアガラ、水中花火が湖面を彩り、クライマックスを迎えます。
「相ノ木」の地名の由来は、現在の市立長野女子短期大学・同高等学校の地に、戦国時代、武田氏の家臣であった相木市兵衛の別館があったと伝えられていることに由来するのではないかという説があります。
相ノ木の地には、北国街道が開かれた1610年ころから街道沿いにしだいに村人が住み着いて枝村をつくり、さらに大きくなった相ノ木の村が西組と東組の二つの生活共同体に分かれました。
天神花火の半纏は一重刺し子という綿の刺子生地を使用し、黒で染めました。背紋は、飯縄天神、腰柄は西組です。
埼玉県川越市の古尾谷八幡神社ほろかけ祭りは、かつては毎年9月15日に行われていましたが、今は敬老の日の前日に行われます。
今年は9月17日となります。
古尾谷八幡神社は、平安時代から伝わる古いお社(やしろ)です。
この行事は、神社の氏子になるため元服式(昔、男子が成人したしるしに12歳から16歳の間に行う儀式のこと)にのっとった、大変古い儀式だといわれています。
ほろとは「母衣」と書きまして、武者が背負って矢を防ぐ、布で作った武具のことです。
若者たちが大きな獅子頭を担いで現れ、「ほろしょいっこ」たちの六方をふむ儀式が始まり、鈴の音とともに、「ほろかけ祭り」は最高潮に達します。
最近はすっかり観光地としてにぎわっている川越ですが、古尾谷はこの地域限定のマイナーな神事です。
美しく色鮮やかな「ほろ」と迫力ある獅子舞、一見の価値ありです。
半纏は八幡神社、八幡青年団、本郷下自治会の氏子総代の方が着ます。
私たち諸井工務店は「みんなが楽しい家づくり」
we are working for youを経営理念に、ご家族が心地良く快適に、日々楽しく、豊かに暮らせるおうちを...そんな思いを大切に家づくりをしております。便利な建材や工法、商品が開発され、家づくりも選択肢が増えましたが、大切なのは「人が考え、人がつくり、人が家を守っていく」ということです。 お客様の一生の住まいを建てるために設計力・提案力を高め、匠の技を守っていくことが大切だと考えております。
川越市連雀町の道灌の山車(どうかんのだし)は、二重鉾、四つ車、唐破風つきの屋根を持つ囃子台で、廻り舞台になっています。川越の山車の中では最も横幅が広い山車です。
囃子の流派は堤崎流で雀会囃子連(すずめかいはやしれん)。連雀町「道灌の山車」は、平成14年10月19日に川越市歴史文化伝承山車の指定を受けました。
連雀町の一字を取り「連雀」雀會は川越祭りは基より、春祭り、川越百万灯夏祭り、酉の市をはじめ、神楽、獅子舞い等でも活躍しています。また地域の子供たちを対象に小雀會を組織し、後継者育成にも努めています。
観光客の方がよく浴衣と間違われるのですが、あくまでも着物で裏地の付いた「袷」あわせとなっていますが、暑がりの人は裏地の無い「単」ひとえの着物をあつらえることもあります。揃いの着物なのでオシャレの余地がないように思えますが実は違い、着物の裏地、襦袢、帯、草履に気を配って各人、粋にオシャレを楽しんでいます。祭の時、曳き手が片肌を脱ぎ襦袢の柄を見せていたりするので、それに注目してみるのも川越祭りの楽しみのひとつです。