古尾谷八幡.jpg     埼玉県川越市の古尾谷八幡神社ほろかけ祭りは、かつては毎年9月15日に行われていましたが、今は敬老の日の前日に行われます。

今年は9月17日となります。

  古尾谷八幡神社は、平安時代から伝わる古いお社(やしろ)です。

  この行事は、神社の氏子になるため元服式(昔、男子が成人したしるしに12歳から16歳の間に行う儀式のこと)にのっとった、大変古い儀式だといわれています。

  ほろとは「母衣」と書きまして、武者が背負って矢を防ぐ、布で作った武具のことです。

  若者たちが大きな獅子頭を担いで現れ、「ほろしょいっこ」たちの六方をふむ儀式が始まり、鈴の音とともに、「ほろかけ祭り」は最高潮に達します。

  最近はすっかり観光地としてにぎわっている川越ですが、古尾谷はこの地域限定のマイナーな神事です。

 美しく色鮮やかな「ほろ」と迫力ある獅子舞、一見の価値ありです。

 半纏は八幡神社、八幡青年団、本郷下自治会の氏子総代の方が着ます。

  

川越チーズケーキ(のれん)

川越チーズケーキ.jpgIMG_3235.jpg      江戸情緒たっぷりな川越に初の"チーズケーキ専門店"がオープンしました。 川越には『川越いも』や『河越抹茶』といった素晴らしい特産品があります。 その特産品の魅力を生かした"ご当地スイーツ"を開発し、美味しさを通して『川越いも』や『河越抹茶』の魅力を広く伝えるために『川越チーズケーキ』は誕生しました。
 川越芋や川越抹茶を使用した「川越チーズケーキ」やクリームチーズをたっぷり使用した「川越バスクチーズケーキ」など、川越の特産品を使った、濃厚でなめらかなチーズケーキが販売されています。
 写真の一軒空いた隣の「川越プリン」と兄弟店です。

川越市幸町1-3  旧埼玉銀行の斜め前位です。


 越生町山車.jpg      2023年7月22.23日に越生祭が開催されました。
 祭礼の初めは、文化文政(1804〜1830年)の頃からといわれ、祭りの主役である六台の山車は、夕方になると提灯に明かりがともされ曳き回しがはじまります。
 新宿町の山車は大正13年、今の青梅市小曽木から購入したと伝えられていて、本柱で屋根などを支える四つ車の屋台型で、屋根に大きな龍の彫刻をのせる。車軸の台木に文政十年丁亥六月吉祥日と墨書がある。  「越生まつり」は、江戸時代から続く、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る八坂神社の祇園祭(天王様)が発展したものです。祭典後、越生神社を出立した神輿が町内を練り歩き、夕方から六台の山車の上で繰り広げられる神田囃子の流れを汲む囃子の競演が、華やかな江戸の天下祭の名残を今に伝えています。
  今年は山車の舞台上、紫の奉納幕、常盤松の舞台幕、波柄の腰幕、手古舞の子供衣裳など新調のご注文をいただきました。
 
  
双柳のぼり.jpg       
双柳と書いて「なみやなぎ」と読みます。
 現在の境内地西南に老木の並木があり、その中の日本の古柳の元に白狐が並んで姿を現した。以来当地を双柳と呼ぶようになり、それを聞いた弘法大師が稲荷を勧請し、神像を彫刻しこれを祀った」といいます。
 双柳稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、延文年間(1356-1360)に当村天台修験教順坊が勧請したと伝えられ、江戸期には双柳村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、明治40年八坂社・金比羅社・山王社・愛宕社・山神社・浅間社を合祀しています。
 
同神社には疫病退散や無病息災などの御利益がある八坂神社が合祀され、夏祭りは八坂神社の祭り。鳥居には地元産のカヤで作られた茅の輪が設置され、参拝者は茅の輪をくぐり、祈りを捧げます。
 今年2023年は大幟を新調しました。幅90cm長さ10m、帆布に黒と朱で染めました。
 向かって右の幟には「神者依人之敬増威」神は人の敬(うやまい)に依りてを増し(神様を敬う人の純粋なまごころに触れ、神様のご威光はさらに輝きを増し)
 左の幟には「人者衣神之徳添運」人は神の徳に依りて運を添う(神様の広き厚きご神徳のご加護で人は導かれ運を開く)と現しています。
 

入間市 諸井工務店(半纏)

私たち諸井工務店は「みんなが楽しい家づくり」
we are working for youを経営理念に、ご家族が心地良く快適に、日々楽しく、豊かに暮らせるおうちを...そんな思いを大切に家づくりをしております。便利な建材や工法、商品が開発され、家づくりも選択肢が増えましたが、大切なのは「人が考え、人がつくり、人が家を守っていく」ということです。 お客様の一生の住まいを建てるために設計力・提案力を高め、匠の技を守っていくことが大切だと考えております。




連連會.jpg   川越市連雀町の道灌の山車(どうかんのだし)は、二重鉾、四つ車、唐破風つきの屋根を持つ囃子台で、廻り舞台になっています。川越の山車の中では最も横幅が広い山車です。 
 囃子の流派は堤崎流で雀会囃子連(すずめかいはやしれん)。連雀町「道灌の山車」は、平成14年10月19日に川越市歴史文化伝承山車の指定を受けました。

 連雀町の一字を取り「連雀」雀會は川越祭りは基より、春祭り、川越百万灯夏祭り、酉の市をはじめ、神楽、獅子舞い等でも活躍しています。また地域の子供たちを対象に小雀會を組織し、後継者育成にも努めています。

 観光客の方がよく浴衣と間違われるのですが、あくまでも着物で裏地の付いた「袷」あわせとなっていますが、暑がりの人は裏地の無い「単」ひとえの着物をあつらえることもあります。揃いの着物なのでオシャレの余地がないように思えますが実は違い、着物の裏地、襦袢、帯、草履に気を配って各人、粋にオシャレを楽しんでいます。祭の時、曳き手が片肌を脱ぎ襦袢の柄を見せていたりするので、それに注目してみるのも川越祭りの楽しみのひとつです。


NHK朝の連ドラ らんまん(半纏)

らんまん.jpg     幕末から昭和を舞台に日本独自の植物図鑑を作る夢に向けて天真爛漫に突き進む植物学者、槙野万太郎とその妻、寿惠子の波乱万丈の人生を描く。
 江戸末期、土佐の由緒ある酒蔵「峰屋」で、万太郎は酒造りの区切りを祝う宴を楽しみにしていた。蔵は祖母タキが女手一つで切り盛りし、万太郎は跡取りなのだが、病弱なのが難点だった。
 万太郎は母ヒサの心配をよそに家を抜け出し、道で倒れてしまう。(4月3日第一話)
 40万点以上の植物標本を残した日本の植物学の父、牧野富太郎がモデル。登場する草花には本物を基にしたレプリカを使う。その多彩さと神木の朗らかな笑顔、あいみょんの主題歌が重なり、朝の一時を穏やかにしてくれるドラマになりそうです。

祭り囃子 舞方の面

舞方.jpg     日高祭囃子連合会の演奏会を見に行った時に、囃子のリズムに乗って、面を被った踊り手(舞い方)
が、何人も代わる代わる出演していました。面には、どのような種類があり、演奏によって被る面の違いがあるのか考えていたら、連合会ではこの疑問に対してぴったりの資料をお持ちでしたので、ご披露させていただきます。
 
 祭囃子とは 江戸期に里神楽から派生したものとされ、各地域に密着して発展し、それぞれの祭りの特色を色濃く反映しています。関東近郊においては5人(笛、大太鼓、小太鼓2人、鉦)の奏者と、一人以上の舞い方で構成されるものが多いです。
 また、舞い方の面は、狂言や神楽に登場するものや、地域の特色を表したものなど多岐にわたり、神聖な舞、滑稽な踊り、「鎮める、奉る、崇めるなど八百万信仰そのものと言っても過言ではありません。
舞や踊りの意味を知ると、より一層、祭囃子を楽しむ事が出来ます。
 
身近な川越まつりなどで、よく見る面の数々です。

 おかめ  家内安全  「にんば」で手踊りして、「鎌倉」でお化粧し、子守歌で子供を抱いて寝かしつける仕草をします。女性の優しさを醸し出す場面が多い

 外道 万病平癒  「師調目」で、大きな顔の面を被り、山岳信仰に付随する崇め奉られる悪しきもの、忌み嫌われるもの等を具現化。子供が泣くような恐れおののくような力強い舞が特徴。

 三番曳 天下泰平 露払いを意味する口上が一興。催しごとの始まりに演奏することで、盛況を祈願するとのいわれあり。

 獅子 無病息災  疫病除、縁起物として知られる。獅子の甘噛みは無病息災、健康長寿、文武両道に育つ等の謂われあり。

 天狐 商売繁盛  ウカノミタマの使いとされ、百年生きたものが白狐、千年生きたものが天狐となる。稲荷神社では、その象徴となる。太鼓のキリに合わせて、切れ間に見得を切る。

 もどき 豊年満作  達磨大師、笑い面などの総称。「ばかめん」「にんば」「道化」とも言い、「にんば」の曲で踊る。凧揚げ、種まき,鍬仕事、つるべ井戸の水くみなどを表現し、滑稽な踊りで賑やかさを演出。

 住吉 豊年満作。もともとは海の神様。晴天に恵まれてこその大漁。転じて農業においては、天候そのものを祈ることに変化。扇子舞は、白波とも、雨乞い踊りとも。

田端八幡神社氏子青年会(手拭い)

田端八幡神社青年会.jpg   
田端八幡神社には田端地区に
・田端高台
・東部
・東田端睦
・本田端
・中田端
・田端宮元
・田端親和
の七つの氏子青年会あります。

田端宮元自治会様フェイスブックより引用させていただきます。

2023/2/4(土)18:00より、田端八幡神社にて、田端地区氏子青年会と東田端連合青年部の役員が新年のお祓いを受けました。
2年後の「大祭」に向け、今夏には無事に「祭礼」が再開されるよう祈念しました、
その後、田端区民センターに場所を移し、田端地区氏子青年会の「新年顏合わせ会」が3年ぶりに開催されました。久しぶりに半纏姿で集まり、再会を喜びました。会では、コロナ禍の終息を祈念して制作された「手ぬぐい」も披露されました。
田端宮元自治会からは、吉田会長、武倉青年部長(氏子青年会会長)ほか6名が参加しました。
準備と司会・進行を担当されました杉崎さん、お疲れ様でした!

吉川八坂祭り 下町尚志会(半纏)

 尚志会.jpg    四百年の歴史を持つ吉川八坂祭り。俗称を天王様と言い、商売繁盛、五穀豊穣、悪疫退散を祈念し、平沼の氏子が奉仕する吉川八坂神社の祭儀です。独特の吉川甚句の節に合わせ神輿を担ぎ、神輿を頭上高く差し上げ、更に上に投げ(サシ)揚げることから暴れ神輿・喧嘩神輿と呼ばれています。
 
しかしながら、不思議なことにトラブルや怪我人等の犠牲者が出ないめでたいお祭りとしても知られています。 また、平沼地区十町から九基の神輿が集まり、ひとつのイベントとして暴れ神輿の競演がいちょう通りにて行われます。この暴れ神輿の競演は、高張り提灯に先導された各町の神輿が、約五百mの区間に九基も繰り出され、競い合って祭る(投げ揚げる)もので、まさに圧巻の一言です。
 令和四年、下町尚志会は、祭りを仕切る世話人である年番でしたが。この伝統の神事が事故もなく、滞りなく進行されたことにお慶び申し上げます。

 半纏は生成りの綿紬、背紋は獅子、腰柄は、八坂神社にちなみ、数字の八を図案化しています。

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