2013年12月アーカイブ
この映画どうやって撮ったんだろう?が第一印象。地上600kmは本当に宇宙空間なのか?横への移動600kmは簡単だが、上下に動くのはこれほど難しいのだろうか。現世の地上の孤独とは違う、人間の科学の粋を集めた故の孤独、無重力の頼りない浮遊感が体感できたような錯覚が残る。3Dで観たのだが、アイマックスに行けばよかったと後悔しました。3Dは字幕が一番前に飛び出すので、日本語吹き替えのほうが、むしろ集中できます。
サンドラ・ブロックはエンジニア役として、優秀なアストロノウトだが、子供を亡くしたことで、自分を許さない虚無感を漂わせ、遠くから見る地球がただの青い惑星のように、映画の始めから生還するまで生に執着しない役を演じきっている。地上に生還してもなを、寂しい孤独感を感じさせるすばらしい演技だった。ジョージ・クルーニーは最後までヘルメットを外さなかったと思うが、デジャブ感覚がこの映画らしさにぴったりの役だった様に思う。
地に足の着いた?スターワーや地球外生命との戦いを超えたこれまでのSF映画とは、異次元の映画だ。
イタリアマフィアの大物役が多いロバート・デニーロが今回も、ニューヨークマフィアを裏切って、FBI証人保護制度で、監視下のもと、ノルマンディの田舎町で家族でひっそりと暮らさなくてはいけないのに、住民や、殺し屋グループとの死闘を繰り広げる犯罪コメディ?。 マーチン・スコセッシ、リュック・ベッソンともフランスが嫌いなのか、マフィアを美化したいのか、コメディなのに日本文化とあまりにかけ離れているように感じ、後味は良くなかった。 例えば、中国人マフィア家族が尖閣諸島の町に移住してきて、奥さんは店の対応が気に入らないからコンビニに放火、旦那は水道屋に暴行、肥料工場を爆破、子供たちは学校で恐喝、本土から来た殺し屋は、消防署、警察署で公務員皆殺し、何事かと出てきた町民を撃ち殺すとしたら、日本の映画館で上映できるだろうか。日本のヤクザ家族が韓国でやりたい放題して、韓国で上映できるだろうか。
ヴァイオレンスは得意なリュック・ベッソン、撃ちまくるアクションは爽快だが、FBIのトミー・リー・ジョーンズだけが唯一まともなアメリカ人に見えました。ヨーロッパで公開されたのでしょうか?
テーブルマットというと机の上に敷くガラス板か厚い透明のビニールを思います。
テーブルセンターは食卓の中央に敷いて、その上に花瓶等を置くのでしょうか。
テーブルクロスは食卓全部を覆う一枚布です。
テーブルランナーは食卓の中央に呉服の帯を横に流す感じです。
ランチョンマットはテーブルを汚さない様に食器の下に敷く一人一枚の布でしょうか。
写真の布製品は上に大きな花瓶等を載せるとデザインが隠れてしまうので、是非小さな焼き物やガラス器など貴重品、希少品のマットとしてご使用ください。
2001年「ブラックホーク・ダウン」でソマリア民衆にヘリコプターを撃墜され返り討ちされたアメリカが汚名挽回を図ったかのような、ネイヴィー協賛の「キャプテン・フィリップス」。マースク(MAERSK)は世界一のノルウエーの海運会社で白いコンテナは日本でもおなじみです。船の名前はマースク・アラバマとアメリカ船籍で、アメリカ市民のトム・ハンクスはソマリアの貧しい海賊にシージャックされ処刑寸前ネイヴィーシールズによって救出されます。体格の良いフィリップスと対照的に、ソマリアの海賊は本当に貧しそうで、みな痩せ細っていて、Tシャツ一枚、ビーサンか裸足で目だけけが輝いていて俳優なのか本物の海賊なのか、後には引けない緊迫感が出過ぎて素人には分かりません。フィリップスもただただ気の短い海賊に振り回され見ているこっちも気が気で無くて疲れます。なんだかんだといっても世界最強のアメリカ機動部隊が出てくれば全て解決できるという感じで単純なのだけど、うらやましい様な国威高揚物の娯楽作品でした。きっとアカデミー賞ノミネートになると思いますが、主演はソマリア海賊俳優ならいいなと思います。
毎年12月3日は、川越の冬の風物詩「川越熊野神社 酉の市」別名「おとり様」が行われます。熊野神社はいくつもあるので連雀町のここは通称「おくまん様」のほうが通りが良いです。
通常、酉の市は11月の酉の日に行われますが、川越では12月3日。子供の頃は厳冬の行事でしたが今では大したことはありません。元々川越には、酉の市がなかったのですが露天商組合の積極的な協力によって盛り上げられました。
ちなみに、この酉の市は川越熊野神社の末社「大鷲神社」の例祭になります。大鷲神社は、商売繁昌、家内安全、開運の神様です。
酉の市の前日までは手作りライトアップの」展示場の一つとなっていました。道路から見えないため、町内子供たちの隠れた穴場です。