2016年11月アーカイブ

鍼や鍼灸院 南浦和(幕暖簾)

鍼や.jpg              「 」と書いて「はり」と読みます。金へんに威(強い刺激、衝撃を与える)の会意文字で、鍼と針はもともと意味も読み方も全く同じ「異自体」と言うそうです。

東洋医学は、身体をひとつの小宇宙としてとらえ、そのバランスが崩れたときに「病」が発症すると考える医学です。鍼灸はその東洋医学の治療法の一つで、身体の変化を手で触れながら観察して状態を把握し、鍼や灸を施すことで身体のバランスを整えて機能回復をはかる治療法です。

 近年、高齢化、生活習慣病の増加などにより、「未病治(病気になる前の細かな身体情報を基に病気の予防や治療を行うこと)」の考え方が広まる中、世界各国の医療関係者やWHO(世界保健機関)などが鍼灸に注目し、メカニズムの研究も進められ、科学的根拠のある治療法として注目されています。

 鍼灸の起源は石器時代の中国に遡り、日本に伝わったのは奈良時代。中国の僧侶が仏典とともに鍼灸の医学書を携えてやってきたとされています。平安から室町時代にかけて、鍼灸や漢方といった中国医学が日本社会に定着し、江戸時代に入ると、鎖国の影響もあり、鍼灸は日本の伝統医学として独自の進化を遂げていきます。その後、医学界に大きな影響をもたらした『解体新書』が登場し、明治になると政府の西洋化政策によって、西洋医学が台頭しますが、鍼灸はその効果から、民間医療として強い支持を得てきました。
 

 鍼や鍼灸院は南浦和の山田整形外科の付属鍼灸施設です。幕はスラブという厚い生地に、強い西日に耐えるように顔料で染めました。(1600*2200mm)            http://www.yog.or.jp

 

長野市相ノ木西町神輿連(半纏)

P1050687 (1).jpgP1050043.jpgP1050029.jpgP1050713.jpg            当地区は善光寺さんから西側に位置し、昔は北国街道の宿場町としても栄えた町です。

 長野駅から長野大通りを真っ直ぐ北へ進み、北国街道を東へ曲がり、長野電鉄の善光寺下駅と本郷駅の中間に位置する場所です。
 例大祭は秋に二回、氏神様の美和神社と鎮守神様の飯縄天神社のお祭を中心に活動しております。
美和神社は善光寺七社の一つであり、御祭神は大国主命。
飯縄天神社は美和神社の鎮守の一つであり、御祭神は、日本八大天狗に数えられている飯綱三郎天狗と学問の神様・菅原道真公です。
 当町の神輿は通称「夢神輿」屋根紋に輝く夢の一文字は、地区の方々の夢を神輿に宿し、皆様のご健康とご隆盛を祈りながら神輿を担いでおります。担ぎ方も江戸前に似たオリジナルの掛け声によるものです。
「わっしょい、わっしょい」 「わっしょい、そーれ」

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