

命知らずな青年たちの妙技を、観衆は固唾をのんで見守りました。光栄にも入間市鳶組合の半纏を染めることが出来ましたので、当日の模様をお知らせします。写真を見ると、どんな技名か大体わかるのではないでしょうか。
また、火災現場にいち早く到着し、火災を止められそうなギリギリの家屋に梯子を使って登り、纒(まとい)を回すのですが、「この先には火災を広げない」という意味がありました。
そのため、梯子乗りと纏持ちは危険な火災現場で高所に登り、命を懸けて町を守る町火消として、江戸時代の花形職業だったそうです。
梯子乗りはバランスがとても大事なので、日頃から梯子に乗る練習をし、曲芸のようなことをすることで度胸をつけ、火災に備えていたといわれています。
そしていつしか、出初式で梯子に乗って技を披露するようになり、現在もその伝統を引き継いでいるのです。
梯子乗りの技は以下の通り、大きく4種類に分けることができ、合わせて50以上のバリエーションがあります。また、複数の技を組み合わせて連続技を披露することもあります。
●頂上技 梯子の頂上で行う技。一本遠見、一本邯鄲など16近くあります。
今や川越の玄関となっている東武東上線川越駅は、1914年の開通時には無く、翌年の1915年4月1日に川越西町駅として開業しています。私の親の代では西町駅といえば川越駅のことでした
旧市街にある昔の玄関口である川越市駅は、東上鉄道開通時に川越町駅として開業し、1922年12月1日の市制施行とともに現駅名に改名したようです。この駅周辺を代表する(六軒町)に昔から住んでいる人たちには通称「六軒町」駅と呼ばれていたようです。
六軒町という名の町は日本全国に多数あるようですが、川越市六軒町は町名の由来が調べても判りませんでした。ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。
さて、川越祭りの主役といば山車、旧市街では文化財級の山車をそれぞれの町会が所有しています。
公式サイトによりますと、六軒町の山車は二重鉾、三つ車、廻り舞台、唐破風付きの囃子台。旧十ヶ町以外で最初に作られた山車。明治21年(1888) 大工棟梁の印藤吉五郎作。彫刻は明治34年山田弥三郎の作。昭和36年廻り舞台に改造されたが、三つ車のまま廻り舞台にした唯一の山車。
人形は明治21年(1888)仲秀英作。面は能楽の一つ、式三番の黒式尉(こくしきじょう)と呼ばれる三番叟(さんばんそう)。
囃子は芝金杉流今福囃子連中で、埼玉県無形民俗文化財に指定されていて、六軒町の半纏、浴衣、手拭には三番叟にちなんだ松皮菱がデザインされています。では、その由来は?
今年の川越祭りは、久しぶりに好天に恵まれ、写真の写りも上々でした。半纏と浴衣は同じモチーフをを使用して一体感を表しています。

南北朝時代、武蔵河越は天下の茶所として人々が名をあげる有数の茶産地のひとつでした。関東の有力武将も愛したこの地のお茶「河越茶(抹茶)」は戦国時代になると栽培していた寺院・武士が衰退するとともにその名も消えていきました。
それからおよそ四百年.....銘茶と呼ばれたかっての河越茶にならい、旧河越領内茶園で丁寧に栽培された高品質の茶葉を厳選し「河越茶(抹茶)」として新たな姿でよみがえりました。
抹茶スイーツ処 茶和々(さわわ)の抹茶わらび餅は、肥料管理の行き届いた工場直営の茶園で一枚一枚丁寧に摘み取った茶葉のみを使用しています。また、おいしさの安心を追及した河越抹茶を練りこんだわらび餅に、さらに河越抹茶がまぶされている風味豊かなわらび餅です。無添加・無着色の自然の香味そのままでしあげられておりまろやかな甘みとコクが持ち味です。
「ひどい被害を受け、水道が出ない」。広島や愛媛県内の煮干し生産者から話を聞いた海産物問屋「轟屋」(川越市連雀町)番頭の小嶋洋司さん(38)とラーメン店「頑者(がんじゃ)」(同市今成)社長の大橋英貴さん(45)が復興応援チャリティーの開催で一致。広島県産の煮干しを使用している大橋さんは「入荷しなくなったら困る」と語る。
同じく轟屋から瀬戸内海産の食材を仕入れている「寿製麺よしかわ」(同市今福)社長の吉川和寿さん(42)、「中華そば にぼ乃詩」(同市連雀町)代表の栗原秀行さん(33)も賛同し、支店や系列店を含め計8店が協賛店に加わった。
轟屋が被災地の煮干しを無料提供するほか、川越市内に埼玉工場のある「ナガイのり」ものりを無料提供する。
チャリティーの方法は各店によって異なるが、売り上げの一部を寄付したり、1杯700円のラーメンから100円を寄付するという。店内に募金箱も設置する。
2年前の熊本地震でもチャリティーに取り組んだ小嶋さんは「2週間をめどに取り組み、集まった義援金は日本赤十字などを通じて必要とされる被災地に届けたい。日頃お世話になっている瀬戸内海の皆さまに一日でも早く笑顔を取り戻してほしい」と話している。
頑者本店(電話049・226・1194)▽メガガンジャ▽UNDERGROUND RAMEN(電話049・299・4593)▽ラーメンひかり(電話049・222・6039)▽寿製麺よしかわ(電話049・293・8609)▽寿製麺よしかわ坂戸店(電話049・299・4683)▽中華そば よしかわ上尾店▽中華そば にぼ乃詩
問い合わせは、轟屋の小嶋さん(電話080・6645・8760)へ。
北は市野川、東は荒川、南は入間川、西は越辺川を境としている四方を河川に囲まれていることから川島町の名がつきました。
伊草神社のささら獅子舞の起源は江戸中期、明和2年のころといわれています。神や仏に豊作と家内安全の願いをかけて、舞を奉納する村ぐるみの行事です。
獅子は若衆が舞うことになっていましたが、戦後は小学生を中心として、獅子舞保存会が昭和45年に発足し、郷土芸能として受け継がれています。
善性寺で一庭舞い、伊草神社へ向う道中700mを道太鼓の行列で進み、神社で三庭、大聖寺へ行って一庭を舞い終了となります。
祭礼は毎年9月15日前後、午後2時に始まり、夕刻には終了します。本年は16日です。のぼりは伊草獅子舞保存会が伊草神社に奉納しました。
いぐさごさいれいと読みます。天地10m40cm、幅108cm かつらぎです。