八和田神社はもとは諏訪神社といっていました。明治22年に上横田・下横田・中爪・奈良梨・能増・高見・伊勢根・高谷の八か村が合併して八和田村となったので、この諏訪神社は村社八和田神社と改まりました。
この神社の鰐口(参拝者が神仏への来意を告げるために打ち鳴らす金属製の道具)は、延徳・弘治の銘を刻したもので、もと高坂村常安寺に延徳3年(1491)、大成と永順という人物により懸けられたが、その後弘治3年(1557)男衾郡鉢形錦入の新井土佐守によって寄進されたものだといいます。
『新編武蔵風土記稿』にその鰐口の絵が載っています。境内には下の写真の杉の大木があり、目通り、5.7メートル、高さ30メートルにおよび、樹齢800年といいますから、鎌倉幕府成立のころから現在に至っていることになり、その間の歴史を見つめてきた杉なのです。
町指定天然記念物になっています。また神社手前右手には神社のものと思われる池がありました。