公園財団 松聲閣(半纏)

 松声閣1.jpg松声閣2.jpg    東京都文京区の新江戸川公園内に松聲閣(しょうせいかく)があります。

 松聲閣(しょうせいかく)は、木造2階立て、勝てもの500平米、大正期の建物で、旧熊本藩細川家下屋敷のあったこの地で、細川家の学問所として使用されていたようで、一時期は細川家の住まいとして使用されていました。現在の建物は、歴史性を生かして保存・修復を行うとともに、耐震性を確保し、平成28年1月にリニューアルオープンしました。
 庭園は細川家下屋敷の庭園の跡地をそのまま公園にした回遊式泉水庭園です。素朴さの中に、江戸情緒が漂う回遊式泉水庭園です。

 湧水を利用した流れは「鑓り水(やりみず)」の手法をとりいれて、岩場から芝生への細い流れとなり、その周辺に野草をあしらっています。
池はこの庭園の中心に位置し、広がりのある景観をつくりだし、池をはさんで背後の台地を山に見立てています。そのように目白台の地形の変化を巧みに利用し、名園と呼ぶにふさわしい景観を作り出しています。
 半纏は、建物の名前にちなみ、光琳松に似た昔の植木屋さんの背紋を用いました。生地は綿紬です。

志木市 宿組総若連頭(半纏)

12034352_975586295831721_2378046768090280954_o.jpg wakaren top.jpgwakaren  back.jpg            埼玉県志木市中宗岡の天神社(八坂神社)を活動拠点とする氏子中、お祭り好きの若者が集まる「宿組若連」のコミュニティ。7月の夏祭りでは神輿渡御、12月はダルマ市を開催します。毎月神社の清掃、掃除もし、地域との交流を図っています。
 紺半纏の総若連頭は毎年6人が選出され、地域の若者はいつかその半纏を着て祭りを仕切りたいという憧れの存在になっています。

 

碧南市 矢作太鼓(半纏)

矢作太鼓.jpg2矢作太鼓.jpg海のない埼玉県生まれの私は 愛知県碧南市という文字を読んだだけで 白い珊瑚礁「青い海原 群れ飛ぶ鴎 心ひかれた 白い珊瑚礁」、青い珊瑚礁「ああ 私の恋は 南の風に乗って走るわ ああ青い風切って 走れ あの島へ」などと口ずさんでしまいます。温暖で、日光がまぶしそうです。

 

矢作太鼓は平成10年10月10日、碧南市川口町で結成されました。現在は町外のメンバーも加入して、会員10名です。半纏は綿紬、着丈82cm、腰には碧南と置いていて、紺地白抜きです。写真は1月22日、羽田先生コンサートに出演したときのものです。

志木市上町囃子連(半纏)

IMG_1907.jpgIMG_1920.jpgIMG_1926.jpg    昭和44年発足といいますから、そろそろ50年になる埼玉県志木市(上町地区)で活動しているお囃子の団体です。会員は20名、暖簾と背景幕が伝統を感じます。

敷島神社祭典(夏祭)、敷島神社元旦祭(隔年)に於いて活動しています。

今年は敷島神社で、大晦日から元旦にかけて参拝客を生演奏でお迎えしました。
半纏の柄は麻の葉総柄で、腰には天狗の天。黒に近い濃紺白抜き、生地は79A、着丈90cmです。

shimo4.jpg shimo3.jpgshimo1.jpgshimo2.jpg 埼玉県志木市では7月10日、宿組の八坂神社祭礼に始まり、16日は下組の下之宮氷川神社、17日は中組の産財八坂氷川神社と続き、さらに23日は下組の敷島神社の祭り、また駅前では郷土芸能フェスティバルでお神輿渡御とお囃子競演が行われるという7月中祭り一色となります。

 また、大晦日、元旦にかけて、神社ではお神楽、だるま市が開催され、参拝客を囃子連中が迎えます。
この写真は、下組囃子連の屋台でのお囃子で、神社と、山車それぞれの演奏風景です。
 

両国 江戸NOREN(のれん)

mainvijual.jpgryougoku 1.jpg両国2.jpg  両国はかつて江戸最大級の庶民で賑わっていた街。町人の活気あふれる両国はせっかちな江戸っ子ならではの発想で、手早く食べられる江戸前の握り寿司が広まった原点でもあります。

 活気や粋、遊び心があり、様々な食文化が成熟した江戸・両国に想いを馳せて、歴史あるJR両国駅の旧駅舎を建設当時の面影や懐かしい雰囲気を活かした外観に改装し、館内には江戸の町屋を意識した吹き抜け空間が広がります。
 「粋な江戸の食文化を楽しむ」をコンセプトに12の和食店が両国駅に集結しました。館内には本物の土俵があり、その土俵を囲むように、寿司、てんぷら、そば、ちゃんこもんじゃ、しゃも、深川あさり飯など江戸の雰囲気がある、飲食店、観光案内所が並びます。

o1000074913763977626.jpg20141011232352b38s.jpg 江戸時代から中里地域に伝承している祭り囃子で、現在八坂神社、北野神社の祭礼で演じられています。曲目は、屋台、昇殿しょうでん、鎌倉、仕丁目しちょうめ、屋台で組まれています。板橋区成増、赤塚から伝わったとされており、曲調は神田流、大間おおまの祭り囃子です。平成5年に練馬区無形民俗文化財に指定されています。

沼田祇園囃子 上之町(か組)の半纏

09_006b.jpgka05b.jpg     おぎょん(沼田まつり祇園祭)-全国の祇園祭の例にみられるように、京都の八坂神社祇園祭に発しています。牛頭(ごず)天皇を祀る須賀神社の祭典が沼田祇園祭(おぎょん)の源流で、昔は本町と称する上之町、中町、下之町の3か町の氏子が中心となり、祭りを実施しました。

昭和50年代に人ると、故郷志向が叫ばれ各地で祭礼が復活し始め、沼田においても段々と山車の数も増え、いよいよ囃子方の育成、特に笛吹の養成が急務となり、昭和54年に沼田祇園囃子保存会連合会は「沼田祇園囃子の錬磨、普及活動を行い沼田祇園囃子を後世こ伝承し、合わせて会員相互の親睦を図る」の目的で結成されました。現在、沼田祇園囃子保存会連合会は、沼田市内のまんど(山車)保有の10ヶ町から組織されています。

例年8月3・4・5日の3日間に行われています。約200人の若い女性により担がれる巨大な「天狗みこし」を筆頭に、人形を飾りお囃子をつけて曳行する「まんどう」、各町による「町みこし」、誰でも自由に参加することができる「千人おどり」などのイベントが開催され、伝統ある須賀神社・榛名神社の御輿の渡御「神社みこし」と祭囃子の競演で3日間の祭は最高潮に 達します。

祭りを盛り上げ優雅に奏でるお囃子(沼田市指定無形民俗文化財)は、山車を保有する10カ町で組織する団体「沼田祇園囃子保存会連合会」によって営々として伝承され、大切に保存されています。
 おぎょんの祭り衣装は、半纏の色や模様は各町内独自のもの。統一された鯉口シャツや腹掛け、股引を使用する。か組の祭り衣装は鯉口シャツ・揃いの股引に半纏を半纏帯で締め、雪駄にはちまき、またはてぬぐいかぶり。小物は巾着袋や扇子。特にか組では上記の画像の通りか組半纏の他、各会(祭吉連・呑気連)など独自の半纏も着用しています。 
 特に、か組の半纏はポリエステルの絽(ろ)という生地で、透ける軽い素材で、夏のお祭りにふさわしい衣裳です。

 

波多野建設 愛知県碧南市(半纏)

a005.jpgstaff_photo07.jpg    愛知県碧南市波多野建設様より半纏のご注文を頂きました。碧南市というだけでも伊勢の温暖で風光明媚なところが目に浮かびます。

波多野ホームが考える「幸福を生む住まい」づくり
  
 良い家って、どんな家でしょう? すべてが高級志向で、高くて便利な設備があって……お金をたくさんかけた家が良い家でしょうか? きっとそうではないはず。少なくともハタノホームでは、住まいの本来の役割や目的を果たすことのほうが、よっぽど大切だと思っています。
  住まいづくりを考えたときにパッと思い浮かぶ「あんな家がいいな」「こんな設備がほしいな」を叶えただけでは、ひとときの満足は得られても、いずれその満足は薄れてしまいます。大切なのは、ご家族を中心に住まいの役割について考え、実用性や利用価値についてとことんこだわって、本当に必要なものを必要なだけ住まいに採り入れること。30回以上の打ち合わせのなかでは、ちょっと現実的すぎと思われるくらい、見栄えや利便性に偏りすぎないご提案を差し上げます。
 マイホームはご家族にとって大きな「夢」ですが、もっと大きな、何十年と生活をともにする「現実」でもあります。その夢と現実のバランスを見定めながらつくるのが、私たちの考える「良い家」。プロとして万全のサポートをしながらも、施主様自身にもしっかりと夢と現実について考えていただき、ご家族にとってのほんとの良い家をつくっていければと考えています。                http://www.hatanohome.com/company.html

鍼や鍼灸院 南浦和(幕暖簾)

鍼や.jpg              「 」と書いて「はり」と読みます。金へんに威(強い刺激、衝撃を与える)の会意文字で、鍼と針はもともと意味も読み方も全く同じ「異自体」と言うそうです。

東洋医学は、身体をひとつの小宇宙としてとらえ、そのバランスが崩れたときに「病」が発症すると考える医学です。鍼灸はその東洋医学の治療法の一つで、身体の変化を手で触れながら観察して状態を把握し、鍼や灸を施すことで身体のバランスを整えて機能回復をはかる治療法です。

 近年、高齢化、生活習慣病の増加などにより、「未病治(病気になる前の細かな身体情報を基に病気の予防や治療を行うこと)」の考え方が広まる中、世界各国の医療関係者やWHO(世界保健機関)などが鍼灸に注目し、メカニズムの研究も進められ、科学的根拠のある治療法として注目されています。

 鍼灸の起源は石器時代の中国に遡り、日本に伝わったのは奈良時代。中国の僧侶が仏典とともに鍼灸の医学書を携えてやってきたとされています。平安から室町時代にかけて、鍼灸や漢方といった中国医学が日本社会に定着し、江戸時代に入ると、鎖国の影響もあり、鍼灸は日本の伝統医学として独自の進化を遂げていきます。その後、医学界に大きな影響をもたらした『解体新書』が登場し、明治になると政府の西洋化政策によって、西洋医学が台頭しますが、鍼灸はその効果から、民間医療として強い支持を得てきました。
 

 鍼や鍼灸院は南浦和の山田整形外科の付属鍼灸施設です。幕はスラブという厚い生地に、強い西日に耐えるように顔料で染めました。(1600*2200mm)            http://www.yog.or.jp

 

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