興宮神社RGB(縮専).jpg     o

興之宮神社のご利益は、五穀豊穣、無病息災、厄除け、招福などです。また、縁結びや子宝祈願にもご利益があるとされています。祀られている神様は、天照皇大神、香取神宮、鹿島神宮の三柱です。

  • 天照皇大神:皇室の祖神であり、太陽神として知られています。
  • 香取神宮:武甕槌神を祀る神社で、武運の神様として知られています。
  • 鹿島神宮:経津主神を祀る神社で、武運の神様として知られています。

興之宮神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代の関東の豪族葛西三郎清重の家臣一色某なる者の領地であったと伝えられています。徳川幕府初期の寛永7年(1630年)10月に改築され、興宮村の鎮守だったといいます。興宮村では、当社を東の宮、本一色天祖神社を西の宮と称していました。

  • 鎌倉時代の関東の豪族葛西三郎清重の家臣一色某なる者の領地であったと伝えられています。
  • 徳川幕府初期の寛永7年(1630年)10月に改築され、興宮村の鎮守だったといいます。
  • 興宮村では、当社を東の宮、本一色天祖神社を西の宮と称していました。

令和六年 辰年(手拭い)

 辰年手拭い.jpg 今年は辰年です。辰とは竜(龍)のことですが、十二支では唯一、空想上の生き物です。ほかはすべて実在の生き物なのに、なぜ架空の竜が十二支に選ばれたのかというと、諸説があり、はっきりとした理由はわかりません。

十二支は、もともとは古代中国で生み出されたもので、中国の多くの王朝において竜は皇帝の権威の象徴であり、民衆が崇めたてまつる対象でした。架空の存在とはいえ、中国の人々にとって竜は実在する生き物と同等、いやそれ以上の存在だったといえるかもしれません。


 竜にまつわる故事成語やことわざなどもたくさんありますが、「竜頭蛇尾(りゅうとうだび)」とは、初めは勢いがあるが、終わりがふるわないことのたとえです。また、「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」とは、最後の肝心の部分が抜けているために不完全な状態にあることをいいます。

 今年の抱負に重ねていえば、竜頭蛇尾に終わることなく、また画竜点睛を欠くことなく、竜が水や雲、翼を得るように、持てる力を存分に発揮して、飛躍する1年にしていきたいものです。

臥龍山 長谷寺(手拭い)

 IMG_3446.jpg臥龍山 和手.jpg      曹洞宗 がりゅうさん ちょうこくじと読みます。
日本曹洞宗は禅宗の一つであり、座禅で求道者各自が悟りを開くことを標榜します。
 
 開山は、物堂正逸和尚で、元和3年(1617年)1月21日に入寂しました。
 また、御本尊の十一面観音菩薩は、丈7寸(約21cm)ほどの座像で、行基の作と伝えられています。
  境内には地蔵石が多くあり、台石に「我此土安穏 天人常充満」と記された法力地蔵尊もあります。
  当地は伊佐沼から用水を引いていたものの水害と早魃の両方に苦しめられていたと記録にあります。山号の「臥龍山」の由来は、古来から龍は雲雨を自在に支配する力を持つとされる仏傅からも、水害と早魃の害を治めたいという願いにあると思われます。
 この度、山門が作られ落慶した記念に、手拭いのご用命をいただきました。
 特岡生地 90cm 白地朱柄
 
 
 〒354-0001 埼玉県富士見市大字東大久保882. TEL, 049-251-7419.

コマさんちのトマト(店頭のれん)

483698678662431491.jpg
 駒林さん 通称コマさんのトマト栽培ハウスは見てびっくりの大きさで、10m*50mのガラスでできた工場のようなハウスは3棟あり、ミツバチ以外の害虫のいない清潔で快適な空間でココパック栽培法でトマトは作られています。
 
 ココバッグ栽培とは、安価で良質なヤシガラを使った隔離栽培システムです。隔離栽培をすることにより、土壌病害の発生を防ぎ、万が一土壌へ病害虫が入った場合でもすぐに交換することで被害の拡大を防ぐことができます。作物に最適な培地管理システムにより「手間、人手、時間」が削減でき、大幅に生産性が改善できます。
 導入コストが安価です。適正な施肥管理をすることによって、収量増加が見込めます。 また、土壌病害回避や定植作業、作業が大幅に省力化でき生産効率がアップしますとのこと。

 駒林さんでは、現在3品種の中玉トマトを11 月から翌年7月まで作っています。おいしいトマトを安定して収穫できるよう、液肥やハウスの温度管理を考え栽培しています。収穫したトマトは民間会社の産直システムを利用し、都内のスーパー数店舗の直売コーナーで販売しています。

 トマトは全部で3種類作っています。
・シンディースイート
・フルティカ
・ミスター浅野の傑作

〒350-0102  埼玉県比企郡川島町大字下小見野77-2
ハウス見学、直売はインスタグラムでご連絡をお願いします。

相ノ木西組天神花火(半纏)

本年は「山への感謝」をテーマに、コロナ退散・家内安全・五穀豊穣・無病息災を祈願し、山への感謝をあらわします。 飯縄火まつりは飯縄山から運ばれる御神火を点火して、飯縄山の「山入り」行事を再現する伝統的なおまつりです。

大座法師池では高尾山薬王院様による柴燈護摩と二胡演奏家の高山賢人氏・和太鼓奏者の佐藤健作氏の生演奏や光と水の演出によって幻想的な世界が繰り広げられます。フィナーレには最大5号玉を含め、スターマインやナイアガラ、水中花火が湖面を彩り、クライマックスを迎えます。

「相ノ木」の地名の由来は、現在の市立長野女子短期大学・同高等学校の地に、戦国時代、武田氏の家臣であった相木市兵衛の別館があったと伝えられていることに由来するのではないかという説があります。
相ノ木の地には、北国街道が開かれた1610年ころから街道沿いにしだいに村人が住み着いて枝村をつくり、さらに大きくなった相ノ木の村が西組と東組の二つの生活共同体に分かれました。

 天神花火の半纏は一重刺し子という綿の刺子生地を使用し、黒で染めました。背紋は、飯縄天神、腰柄は西組です。

KIMG3320 (1).jpg

相ノ木東区

相ノ木西区


桂囃子保存会.jpg   
 桂川神社は、その昔、この地が「桂の里」と呼んでいたのにちなんで名付けられたと伝えられています。
 杉木立に囲まれ、日当たりの良い境内にたつ社殿は、その荘厳さを感じさせます。
 桂囃子保存会の囃子の流派は小田原囃子若狭流。
 昭和21年に飯能市原町より伝授。桂囃子保存会は南峰囃子連と木蓮寺囃子連が合併した団体であった。同じ桂川神社に奉納していた関係で平成2年に合併したのだという。山車は南峰囃子連が昭和25年頃制作した山車があったが、老朽化したため、昭和59年に会員の大工さん3人を中心に制作された。
 四ツ車、唐破風付きの屋根を持つ屋台型の山車。底抜け屋台も所有しており、現在のものは2代目。旧来のものから平成7年に会員の手作りにより新調されました。
 山車の腰幕は、波に千鳥という王道の伝統柄を用いました。



誠信館剣道クラブ(旗、手拭い)

誠信館.jpg              伝統文化の伝達と、青少年の健全育成を目標に、楽しく剣道の稽古をしています。

  誠信館は、昭和52年創立、46年目を迎えました。小中学生を中心に幼稚園から大人まで活動している歴史あるat homeな剣道クラブです。

  川越市立高階中学校武道場で、月・水・土曜日の19時から21時まで活動しています。大会の出場や級・段審査に向けて、日々稽古に励んでいます。

  会員は随時受付けております。

  この度、部旗と手拭いのご注文をいただきました。

旗     1500*1200mm
手拭い   1000*350mm

古尾谷八幡.jpg     埼玉県川越市の古尾谷八幡神社ほろかけ祭りは、かつては毎年9月15日に行われていましたが、今は敬老の日の前日に行われます。

今年は9月17日となります。

  古尾谷八幡神社は、平安時代から伝わる古いお社(やしろ)です。

  この行事は、神社の氏子になるため元服式(昔、男子が成人したしるしに12歳から16歳の間に行う儀式のこと)にのっとった、大変古い儀式だといわれています。

  ほろとは「母衣」と書きまして、武者が背負って矢を防ぐ、布で作った武具のことです。

  若者たちが大きな獅子頭を担いで現れ、「ほろしょいっこ」たちの六方をふむ儀式が始まり、鈴の音とともに、「ほろかけ祭り」は最高潮に達します。

  最近はすっかり観光地としてにぎわっている川越ですが、古尾谷はこの地域限定のマイナーな神事です。

 美しく色鮮やかな「ほろ」と迫力ある獅子舞、一見の価値ありです。

 半纏は八幡神社、八幡青年団、本郷下自治会の氏子総代の方が着ます。

  

川越チーズケーキ(のれん)

川越チーズケーキ.jpgIMG_3235.jpg      江戸情緒たっぷりな川越に初の"チーズケーキ専門店"がオープンしました。 川越には『川越いも』や『河越抹茶』といった素晴らしい特産品があります。 その特産品の魅力を生かした"ご当地スイーツ"を開発し、美味しさを通して『川越いも』や『河越抹茶』の魅力を広く伝えるために『川越チーズケーキ』は誕生しました。
 川越芋や川越抹茶を使用した「川越チーズケーキ」やクリームチーズをたっぷり使用した「川越バスクチーズケーキ」など、川越の特産品を使った、濃厚でなめらかなチーズケーキが販売されています。
 写真の一軒空いた隣の「川越プリン」と兄弟店です。

川越市幸町1-3  旧埼玉銀行の斜め前位です。


 越生町山車.jpg      2023年7月22.23日に越生祭が開催されました。
 祭礼の初めは、文化文政(1804〜1830年)の頃からといわれ、祭りの主役である六台の山車は、夕方になると提灯に明かりがともされ曳き回しがはじまります。
 新宿町の山車は大正13年、今の青梅市小曽木から購入したと伝えられていて、本柱で屋根などを支える四つ車の屋台型で、屋根に大きな龍の彫刻をのせる。車軸の台木に文政十年丁亥六月吉祥日と墨書がある。  「越生まつり」は、江戸時代から続く、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る八坂神社の祇園祭(天王様)が発展したものです。祭典後、越生神社を出立した神輿が町内を練り歩き、夕方から六台の山車の上で繰り広げられる神田囃子の流れを汲む囃子の競演が、華やかな江戸の天下祭の名残を今に伝えています。
  今年は山車の舞台上、紫の奉納幕、常盤松の舞台幕、波柄の腰幕、手古舞の子供衣裳など新調のご注文をいただきました。
 

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

アーカイブ

管理者用

2024年1月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

月別 アーカイブ