前から気になっていたブルーマン。ニューヨークの三人組みパフォーマンスが発生です。アメリカNY.LV.ユーロ各地、そしてアジアでは東京です。
会場は麻布十番、東洋英和の向かいですが、急な坂ばかりで会場に着く客は皆大汗、息切れしていて変な親近感を覚え笑えます。
首までの長袖、長ズボン、ブーツ、身長190cmくらい、手と顔は名前の通り濃いブルーです。ラテックスを被っているのか、塗っているのか解かりませんが、密着していて目と歯以外皮膚は見えません。
開演前に英語テロップが次々流れ、客いじりで笑わせ、徐々に引き込まれ、開幕はお馴染みのインク満タン、ドラム三連奏で、何時インクが跳ねて飛んでくるか分からないので、心配ながらも暑い中ポンチョが脱げません。パフォーマンスは終始無言のパントマイムで、シモネタは一切なく、しかし、何時何が飛んでくるか気を抜くことが出来ず、テロップは早いし、客いじりは相変わらずで100分間は楽しく過ごせました。クーザも良かったですが、こっちのほうが満足感が多いような気がしました。
音楽もオリジナルで、本家ではターミネーターのラストにも使われたそうです。日本のバックバンドも秀逸で言葉はないけれど、効果音も演奏も多いに引き立てました。終演後はブルーマンとのサービスショットもあります。これはお勧めです。
オルゴールで白鳥の湖の曲を聴くと、これから死ぬまでこの映画を思い出すと思います。この映画でナタリーポートマンはオアカデミー賞を獲ったというが、幼少よりバレイを習い、10ヶ月の猛練習で全編吹き替え無しでトップで踊り、正確で繊細な白鳥のような彼女が、段々と狂気に蝕まれて、最後は妄想のなか、難役の黒鳥になりきり、二重人格極まり、観客の気持ちをザワザワ、びくびくさせる演技は、最近稀なサスペンス、スリラーシネマの完成度の高さから当然という気がします。音やグロテスクな映像で脅かすわけでなく、ストーリーの展開で、十分不安な気持ちになり、フランス人監督、ロシア人ライバルなど、俳優、配役もぴったり大当たりです。エンドロールまで誰一人立ち上がる人がいなかったのは初めてでした。
川越駅東口に忽然と、昔ながらの八百屋が出来ました。第一ホテル駐車場での青空市場での販売もありますが、たいてい通りに面した空き店舗で土曜日、日曜日午前中営業しています。
売っているものは、野菜、惣菜、切花」、鉢植え、お稲荷さんから甘酒、お汁粉など、その日に採った、または調理した出来立て食品ばかりです。
地元の人しか知らない、しかし知ったら毎週行きたくなる隠れ市場です。明日も9時から営業です。http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/430092.pdf
マットデイモン主演で、予告編を観たときにボーン風のアクション映画と思いました。原作もきっとすばらしいのだろうが、脚本が良い。勝手に生きている私たちは、実は人生は天の定めた運命によって決められているかも、と思うときもあるわけで、全能の神といえど、全人類の一人一人は、調整役(アジャストメントビューロー)の天使たちに任せられているらしい。人類の未来を決定するような、例えばアメリカ大統領になるような人には、結構な数の天使たちがかかわっているみたいです。ベルリン愛の詩のミカエルみたいに、人間に振り回される天使たちも、雨と帽子に左右されつつ、人生すごろくからたまには脱線してしまうようだ。やっぱり「愛こそは全て」なのだ。
どうして天使は常に男なのかと思いつつ、ラルフローレンのカタログ風、ブルックスブラザーズかポールスチュアート?のディスプレイのような粋な着こなしに、うなりました。
まだ観ていない「ブラックスワン」よりも最新作のこの映画、軽快でノー天気なラブストーリーです。カナリ吹っ飛んだナタリーポートマンは、もっと大きい女性かなと思っていましたが、アシュトンカッチャーと並ぶと小さく見えます。じゃあスカーレットヨハンソンは何センチなのだ?レオンの美少女マチルダとは知りませんでしたが、「ブーリン家の姉妹」、ラックスシャンプーなど生まれながらのお姫様役、ヒロインが似合っていて、軽快な、キャメロンディアスの流れには張り合わないほうが良いのではなどと思ってしまいます。アシュトンカッチャーはヴェガス、バレンタインなど気のいい大らかな、ちょっと抜けたモロにアメリカ青年路線ではまり役でした。どうなるか心配させても最後のハッピーエンドに持って行く、アメリカンラブコメ、毎度ながらうまい物ですねー。
角田光代の原作が映画でリメイクされました。古典芸能にあるところの、「子別れ物」でしょうか。愛人との子供を失った永作博美は、不倫相手家族の幼児を誘拐し4年間育てる。警察によって捕まり、実親に戻された井上真央は成人になり、同じように不倫相手との子供を宿す。永作博美は全てを失い、空っぽだと思っているが、井上真央も同じ道を辿るのか?同じ道というのが蝉の一生=七日なのか?小池栄子とともに、自分の育った軌跡を辿るうちに、ついに小豆島で一日長生き出来た=八日目に実母、育ての母にあまりにも愛され、しかし愛に囚われた悲しみから、自分を開放できた物語かなと思いました。
原作と同じ進行をしていって、ラストになり、ちょっと「悪人」ぽい邂逅があって、しかし映画のほうが救いが感じられ暖かい脚本でした。
解説に池澤夏樹氏の文章が読めたのは幸せでした。