柳崎氷川社は、川口市柳崎にある氷川社です。柳崎氷川社の創建年代は不詳ながら、当社の別当寺だった天台宗観音院が織田信長の比叡山焼き討ち(元亀2年1571)を逃れて当地に逃れ来たといい、また元禄年間に大谷口・井沼方・中尾・柳崎の四か村が一村より分村したということから、観音院が所蔵していた慶安2年(1649)銘の棟札が創建年前後ではないかと考えられます。明治6年(1873)村社に列格、明治41年(1908)には字後町の稲荷神社及び白山社、字西ヶ原の稲荷社を合祀しています。 奉賛会は柳崎氷川神社の行事で一年を通し活動しています。
大晦日から新年のお焚き上げ、元朝祭 初午、新嘗祭、秋季大祭の準備など、宮司の業務を助け、地域の人々に知らせる広報活動や寄付金集めなどを行っています。
昨年より揃いの半纏を着て活動するようになりました。
綿紬 緑地 着丈100cm身幅65cm